その後の日々。英検。まだまだ続く道~♪
その後、せとか本人は、きわめて楽しく高校に通っています。
しかし、私は、この首の皮一枚で乗り切った感の高校受験にすっかりこりてしまい、
「大学受験では、もう少しリスクヘッジができないだろうか。
とくに、高校受験では、併願確約校以外すべて落ちてしまって『県立落ちてもいいや、この学校に行けるし♪』という心の支えがないのがすごくきつかった。
なんとか、大学受験では、本命校以外の納得校を持った状態で、本命校受験に望めないかしらん?」と思っていました。
その一環としてやってるのが、英検です。
英検って、今、いろんな大学の入試に使えるんですよ。
なわけで、せとかに英検準1級を受けさせました(2級はすでに持っている)。
結果は当然不合格。まあそれは当たり前のことだし、そもそも高1の受験では大学入試に使えないので(時期が早すぎる)、それは別にいいんですが、
結果は希望が持てるものでした。
英検の大学入試利用って、たとえば、
・早稲田大学のいくつかの学部では、
「①英検スコア2200点以上 かつ ②Reading / Listening / Writing / Speaking の各技能の得点がそれぞれ500点以上」
で、英語の受験が免除になる
なんですが、せとかの今回のスコアは、
①英検スコア2200点以上 → ×
②各技能の得点がそれぞれ500点以上 → 〇
でした。
まだ時間があるので、①の条件は、実際に英検を大学受験に利用できる高2になるまでには達成できる可能性が高い。
さらに、立教大学などMARCHのいくつかの大学は、
・英検準1級を持っていれば、英語試験は100点換算。
になります。
なので、なんとか、英検を活用して、
「あわよくば、早慶MARCHの合格を持った状態で、国立に挑めるような戦いに持っていけないだろうか?」
っていうのが、今の私の野望です。
とは言え、英検準一級。漫然と過ごしていたんじゃ取れない、難関資格です。
そこで、利用してるのが、高校でやってる英語プログラムです。
今どきの進学重点校、どこの学校も英語圏の姉妹校があり、英語プログラム持ってるんですね。
神奈川県立高校、意外にすごい❗
なので、せとかさん。この夏は、学校のプログラムを利用して、
・短期海外研修に参加。
・ホームステイ生を、我が家に受け入れ。
する予定です。英語うまくなるといいな。
高校受験、私もせとかも苦しんだけど、確実に強くなったはずだし、強みも弱みも、戦い方も分かったはずです。
それらを活かして、これからの3年間、楽しみながら歩いて行こう。
公立中高一貫不合格から始まった日々、つらかったけれど、意味がある。
人生には、明らかに意味がある!
せとか高校受験への道。
2023年高校受験、姉せとか版です。
高校受験から半年がすぎ、さすがに需要もないだろうが・・・。
備忘録として書いておきます。
しかし、備忘録としても、自分自身かなり忘れちゃってるんだな、これが・・・。
しかし、当時の煩悶の日々も、こんなにも忘れるんだなーって事実自体が、受験生の親御さんにとっては励みになるかもです!受験生の親御様たち!がんばってくださいね!辛いのも苦しいのも、あっという間に過去になって、忘却の彼方へ去りますよ!「愛しき日々」とまではさすがに、まだ言えないけどね。
さて、本題です。
2学期末。内申判明。吹っ切れた日々。
2学期末に、受験に関係する最終内申が判明しました。いやあ悪かった。
ざっくり言うと、主要五教科ほぼオール5、実技4科ほぼオール3くらい。←神奈川県立トップ校を受ける層としては信じられないくらい悪い数字。志望校内順位でも、内申順位は下に数人しかいなかった
さすがに、判明した当初はショックで、主要五教科で4がついた科目は、2回の定期テスト平均が89点だったこともあり、これなら5頂戴よ、と中学校に怒り心頭だったです。
でも、数日考えて、逆に内申低くてよかったのでは?と思い始めました。理由は、神奈川県立最高峰をすっぱり思い切れたこと。
神奈川県の高校受験の制度であれば、内申低くても受かるんですよ。内申無関係の2次選考10%枠があるので。
塾の資料でも、内申関わる1次選考と、内申無関係の2次選考の推定合格最低点はほとんど変わらないし。
でも、内申で、①五教科オール5を取れなかったこと ②実技の内申が低かったこと これらは、娘の能力のありかたを如実に示す情報です。
オール5近くを、この土壇場、最終コーナー回ったところで確実に取りきってくるお子さんたちと同じ土俵で勝負するのは、ちょっと大変だわ。
てなわけで、早い段階で諦めがついて、逆に良かった、と思いました。なまじっか良い内申が取れちゃった方が大変だったかもね。
もとから、S嵐特訓は一応行ってたが、親にも本人にもさほどの思い入れはなく、最高峰に行った/行かせた、という本人と親の見得がある、程度のものではありました。
1月。決定の日々。
娘②の中学受験と並行して、下記の通りせとかの受験校ラインナップを決めました。
1.私立A校(偏差66―70)。オープン入試 → 内申が低かったせいで、家から遠い学校しか併願確約を取れなかった。なので比較的家から近いA校を駄目元で受けようと思いました。
2.私立B校(偏差69)。併願確約校。いい学校だけど家から遠かった。書類選考だけで行けるが、より上位のクラスでの合格を目指して入試を受けるという手もありました。↑のA校を受験するので、うちはしなかった。
3.国立C校(偏差77)。5教科型の試験の練習のため。ノー対策および、国立は内申が換算されるので、合格はほぼ無理だと思っていたが、あわよくば繰り上げにひっかからないかな、という期待もあった。
4.県立D校(偏差70―75)。第一志望。神奈川の進学重点校、湘南柏陽川和厚木のどれかです。
塾の直前特訓も始まり、粛々と勉強してました。
2月上旬。中学受験の怒涛と高校受験の弛緩の日々。
前回書いたように、中学受験は阿鼻叫喚の日々ですよ。
しかし、それに比べると、高校受験って、そこまで二人三脚感はないんですよ。中学受験は、模試でも日特でも受験でも、必ず親が送迎しますが、高校受験だと、遠方の特訓会場、都内の受験校であっても子どもに一人で行かせるもんね。
だもんで、中学受験が終わると妙に暇な瞬間が訪れ、凪の日々を過ごしていました。その後の嵐をつゆ知らず。
2月下旬。自責と感情振れ幅最大の日々。
そんなこんなで迎えた受験本番。
本番は、以外なことに、中学受験よりも100倍辛かったです。
人生で一番辛かった日々だと断言できます。
その理由は、県立高校受験は、発表まで2週間と長いんです。
その間に、私立やらの不合格の現実を突きつけられ、いやってほどの情報に晒され続けるんです。
まずは、私立国立の不合格。
まあ、対策していないし、国立に関しては内申も低いしであたりまえです。
そして、県立高校受験者の当日の倍率やら得点情報。
県内最大の高校受験者を擁し、情報の精度が高いS塾の情報によると、せとかの得点(自己採点)は、
・五教科得点 → S塾内のせとか志望校受験者の平均より若干低い。
・特色検査(←神奈川県の上位校は、科目横断型の特色検査という6教科目を設けている)得点 → S塾内のせとか志望校受験者の平均より若干高い。
という結果でした。
要は、「全員合格ライン」→この得点だと、内申や面接に関わりなく全員が合格している に居たらなかった。ここから、私の心の修羅の2週間が始まります。
いつもは割と精神が安定していて、精神に深みはないがなんとかなるさの私ですが、この時期は本当に病んでいた。ぐるぐる考えていたことは、
・なんで、県立高校の合格さえも危ういんだろう?せとかは、県立最高峰こそ届かなかったけれど、その下には十分届く力はあったはずなのに。
私にもっとできることがあったんじゃないか。中学受験にかまけすぎだったんじゃないのか。
・なんで、無理目の私立国立を受けさせたんだろう?なんで、それらに落ちることを想定してあげなかったんだろう。なんで、「併願確約校しか受からなかった子」になりそうな未来しか用意してあげられなかったんだろう?
実力ある子なのに。良い子なのに。「併願確約校でリベンジを誓う3年間」しか用意できないのはなんでなんだろう。
・せとかごめん。どうやって償えばいいのか。本当にごめん。
しかし、今になって言えるのは(当時もうすうすは感じてたが)、↑までの悲劇のヒロインになる必要は全く!なかったってことでね。
冷静に考えると、せとか志望校の受験者全体平均点より、S塾の受験者平均点の方が若干高いので、そこを加味すると、せとかは受験生全体の平均すれっすれか、若干上の立ち位置です。
志望校の倍率は2倍切ってるので、平均ど真ん中ならさすがに受かります。
とかは、当時の闇メンタルでもさすがにわかったんですけど、でも、「マークミスがあったかも」「記述問題やらかしたかも」とか思って、どんなときも良く眠れる私もさすがに不眠、心が休まらなかったです。
合格発表。光あれ。
そんなこんなで心の地獄の2週間をすごし、迎えた合格発表。
職場でそのときを迎えました。
神奈川県立高校はオンライン発表。
神奈川県立高校全受験生と、その親が一斉にアクセスするため、なかなかつながりません。
10分。15分。
やっとつながった!
「選考試験の結果 あなたは〇〇高校全日制課程に 合格 となりました」
スマホでその画面を確認したと同時に、せとかからの同じ画面のスクショがラインで届きました。
神さまありがとう。
せとかありがとう。
せとか、よかったねえ。
これにて、公立中高一貫校を落ちた時から続いてきた、せとかの物語は、いったん終了となりました。
めでたしめでたしで!
中学受験。各種検証。
さて、ユズ中学受験編総括として、ユズ中学受験にて実証した、中学受験に関するいくつかのリサーチ・クエスチョンについて、私の答えを記したいと思います。
1.公立中高一貫校受験のために、大手私学中受塾を利用するのはありか?
答えは、「ナシ」。
「公立中高一貫校受検のために必要な能力」と、「大手私学中受塾で得られる能力」は同じなんですよ。日能研テキストの「学びなおし③」の問題なんて、「あーこれは公立中高一貫の問題だわ」と思いましたもん。
でも、「大手私学中受塾」に通いつつ、「公立中高一貫校受検へのモチベを保ち続けること」が難しい。日能研では日々、「私学イイヨイイヨー!」の洗脳?を受け続けるわけですから。
だから、大手私学中受塾にいて、公立中高一貫校の受検が成功するパターンって、上位の私学第一志望で、併願で公立中高一貫校を受けるパターンだと思います。女子だったら、「フェリスの併願で市立南」とか。
ただ、ここ数年の日能研の合格実績を見ていると「N50~、調子いい時N55届く」くらいから、公立中高一貫校併願は十分狙える気がします。関東学院くらいの併願でも十分受かっている。「目指すは公文国際、市立南受かればラッキー!」くらいの受験にうま味があるんじゃないですかね。
2.公文は中受に役立つか?
答えは、「どちらともいえない」
ユズの受験はしょっぱい受験で、算数も最後までのびなかったので、あまり公文の効果を実感していません。
若干、役に立ったのかも?というところを上げておきます。
・計算へのアレルギーを感じずに完走できた。
・最後の最後、調子が良ければ算数偏差値50over行くこともあったので、公文効果も少しあったかも。
・机に向かう習慣がついた。
・中1の今、数学はどちらかというと得意科目になっているので、公文で中1数学まで終えているのが少しは影響しているかも(本人は、公文時代の自分の教材を見て、「あー正負の数って昔やってたんだー、ビタイチ覚えてない、昔の自分天才!」くらいのノリですが)。
3.持ち偏差値より上の学校主体の、危ない併願プランはあり?
答えは「アリ。ただし子どもの様子で見極めて」。
うちのユズの場合は、塾からは「1月校も2月校もレベルが高すぎる。もっとリスクの低い併願を組もう」と言われてました。
しかしふたを開けてみれば、1月校も2月校も本人の持ち偏差値より5程度高かったけど合格しました(「結果偏差値」が下がった学校もあったが、本人の得点状況や繰り上げ状況など鑑みるに、ユズは偏差値50程度のパフォーマンスを発揮できていたと推定)。
「塾の言うこと聞かなくて良かった」パターンですけど、塾は偏差値を見て指導します。親は子どもの様子を見て判断します。そこに違いがあります。私は、ユズを見て、「知識はあるけどうまく問題を解く方向にアウトプットできていない」パターンだと判断しました。
で、受験期に入って、得点開示などを見るに、↑の問題ははっきりいって最後までユズの足をひっぱり続けましたけれど、ユズ本人がいうに、
「4教科だと、何かでつまづいても、他の教科で取り返すすべを身に付けた」
とのことです。その言葉の通り、2科目(1科目)校全滅、4科目校全勝。
塾判断と親判断が一致していたら、危ない併願は回避が正解。うちの上の子は塾判断に従い、親の目から見てもそれが正解と思ったので、神奈川最高峰は回避しました。
4.最後まで受験が「自分ごと」にならなかった子の、中学校生活はどうか。
答えは「温度低いなりにそれなりにやっている」
このブログのどっかに書いたと思います。うちの子たちは「温度低い族」。自分が体験するどんな物事に対しても、のめりこむような熱い感情や、「ここを受けたい!」という生々しい実感をを持つことができない。
そんな子が、まるで引き寄せられるように、導かれるように、一つの学校に決め、そこを第一志望として受験しました。でも、第一志望に受かった時も反応は薄く、「ああ、そう」くらいでした。漫画の「二月の勝者」で言う、「受かった時の嬉し涙を見れるのも、親の特権」そんな特権には恵まれなかったで。
でも、子どもって本当に不思議です。受かってから、何かが彼女の中に芽生え始めた。
受験終了してからの一か月くらい、ユズは、何らかの受験知識を、毎日のように呟いていました。例えば、「797年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に・・・」とか。ユズは、受験を継続したかったのか。もっと自分の力を試したかったのか。
中学校に入学しても、温度は低めなんです。「友達あんまりいない」「体育祭だるい」とか。
でも、「中間テストで、この教科はワークがない。ママ買って」とか、テストとか全く関係ない先週末も、「家じゃ集中できないから、ちょっと自習してくる」とか家を出ていくとか。あと、あんなに早起きが苦手だったのに、朝6amより前に自分から起きてくるようになった。低温なりに、主体性を発揮し始めている気がします。学力は学年中位。
この先どうなるのだろう。とても楽しみです。ユズの前途が洋々であることを祈りつつ、ユズ中学受験編を終わります。
受験までの道② ユズ中学受験 本番期!
前回から続きます。今回は本番。
2月1日AM 第一志望校 山手女子校。
朝。ユズ的にはむっちゃ早起きし、塾の激励ズームに参加し、学校へ向かいました。付き添い私。
ユズのメンタル的には悪くなく、学校に着くまでは、他の受験生を見て「こいつら全員芋けんぴで串刺しにすれば、倍率下がる?」「いや、あの寺の塔のさきっぽに刺しておこう」と、不謹慎極まりない会話で盛り上がりました。
ほんとに程度が低い受験生親子ですみません。しかし、1か月強前の公開模試でのユズの極度の緊張、前日泣き出しメンタル崩壊を見た私としては、本番はなんとか、全力は出させてあげたい、力及ばずとも、と私は必死でした。
そして、ユズが試験会場に向かう時が来ました。私はサムズアップで送り出しました。
3年前、せとかを公立中高一貫に送り出す瞬間は「生まれた時からずーっとこの子は私の庇護の下にあったのに、今これからはたった一人で戦いに赴くのか」と胸を痛くして子どもの後ろ姿を眺めていました。
ユズの時は、そういうことは思わなかった気がします。おそらく、それまでの長い受験生活で、少しずつそういう感情を消費していったのでしょう。とにかく、緊張を和らげて、本来の力を出し切れますように。そういう思いでいっぱいでした。
だがしかし。
試験を終えて帰ってきたユズ。
あれ?ニヤニヤしてる。
次の会場に試験会場に向かう道みちで。ユズに聞いてみました。「試験どうだった?」
ユズの反応。
ユズ「え?それ聞いちゃう?聞いちゃう?」
え?
なにそのテンション。
ユズ曰く。
「いやー、4科目だからさー。何かで失敗しても別の教科で補えるってことを実感したわー。」
あ・・・やっぱり失敗したんだ・・・。
しかし謎の強気で戻ってきて、緊張討ち死にで、解答用紙真っ白なまま時間切れ、みたいなのを一番危惧していた私は拍子抜けしました。
受験期全てを振り返ってみて、ユズが一番緊張した瞬間は公開模試だったのではなかろうか。
不思議の子ユズ。てゆうか、子どもってやっぱり不思議です。
PM。第二志望校のS泉に向かう。
ここでも目論見違いがおきました。
というのは、私は、2月1日AMで、尾羽打ち枯らして帰ってくるユズを想定して、第二志望校の近くのホテルのデイユースを取っていたのです。
そこでゆっくりご飯を食べて、30分でも仮眠をとって、なんならシャワーを浴びてさっぱりしてから午後の試験に臨むがいい!と思って。
しかし!ユズはホテルで、ベッドでダラダラしながら、好きな音楽とか聴きだした!
それは、私が「勉強とかいいから、ゴロンして疲れとりな」と言ったからではありますが、ふつう、そうは言われても、疲れ切ってないなら勉強するもんじゃない?
AMは、緊張ほぐれてていい感じだな、と思いましたが、PMのこの弛緩しきった感じは逆にまずいな、と思いました。
そして、その悪い予感は当たりました・・・。
2月1日。夜。
PMに受けたS泉の合格発表。
ユズは元気に、「家族のみんな!合格発表だよ!見る?見る?」みたいに言ってました。
そして、その盛大に立てたフラグ通りに、「残念ながら、不合格となりました」という文字が画面に踊りました。
「ここは、2月1日AMに高偏差値の学校を受けた子達が抑えに受けにくるところだから。心配ないから。」と声を掛けましたが、ユズはふらふらと寝室に籠ってそのまま寝てしまいました。
ここからが、私の中学受験における心の修羅ピークとなりました。
2月2日AM。抑え校。
その日の朝、ユズはなかなか起きてきませんでした。
2月1日PM校を抑えられなかったので、2月2日AMは、出願していたうちの抑えに当たる方を受けにいくことになりました(そしてそこだって、ユズの偏差値的には盤石ではない)。
「ユズ、起きようよ。〇〇校頑張ろうよ」と声を掛けましたが、なかなか起きてこない。やっとでふらふら起きてきました。泣いていたのかも。塾の激励ズームも、「今日はいい」と参加しませんでした。
この日のユズの受験付き添いは夫。
その日の午前中に、2月1日AM本命校の合格発表がネットであります。
その時刻の1時間くらい前、ユズの付き添いをしていた夫からラインが入り、
「合否もキニナルが、湘北高校も気になるので、ちょっと付き添い待機室から出てくるわ」とのこと。
あ、付き添い待機に飽きて、スラムダンクの映画見に行くんだね・・・。
まあ、家の中の全員がテンパっても詰むので、そういうテンションの人がいてくれたほうがありがたいですよね・・・。
てなわけで、ユズ合格発表は、私が一人で見ることに。
(どっちにしても、私は出勤してるので、1人で見るには変わりませんが)
ここが、一番の私の心の修羅だったです。
ここが落ちてて、最後まで落ち続けて、全落ちしたらどうしよう。
ユズごめん、私が軽い気持ちで始めた中学受験で、そんなかなしい目に合わせてごめん。
そんな目に合わせるわけにいかない、なんとか、合格をひとつでもユズにあげたい、2月4日以降受けれるところはどこだろう、すこしでも、受かって嬉しいと思える学校はまだあるだろうか、そんな思いでいっぱいでした。
でも!そこで一つ気づいたことがあります。
私が仕事を受験真っ最中期も別にペースダウンせずに続けていたこと、中学受験的には百害あって一利なしだと思いますが、ひとついいのは、この合格発表を待つキツイきつーい時間を乗り切るのには、仕事してたほうがいい。
仕事がなかったら、家で待機して合格発表見るのなら、合格発表サイトをクリックするまでの時間、1秒が永遠にも感じてたと思いますが、
そのとき職場にいたおかげで、手を動かす作業が色々あって、「トイレ行ってこよ。起案の鑑作ろ。その後あのプリント作って、あ、時間だわ」くらいの感じで乗り切ることができました。
そして、運命の時間。
その時間の自分の心のショックに備えて、「残念ながら不合格になりました」を、心の中で100回くらい唱えてからクリック。
最近の合格発表サイトは、桜とか舞ってないものなんですね。
おかげで、合格とわかるまでしばし時間を要しました。
職場で、中受経験同僚に、「おめでとう!」と言ってもらい。
旦那にラインするも、旦那はスラダン見てて反応なく。
塾に電話して、「合格と出てたら合格ですよね?」「安心してくださいお母さん。合格と出てたら合格です!」と間抜けなやり取りをし。
我が家の中学受験は終わりました。
そこからは後日談。
受験を終えて、2月2日午後受験に向かおうとするユズに、「そういえば2月1日AM校受かってたよ」と告げた旦那に、
ユズは「ふーん」くらいの反応しかなく。
あとで聞いたら、「『2月1日AM受かってても落ちてても、2日PM校受験に差し障りがあるから結果は教えないよ』ってママに言われてたのに、パパ、結果教えてくれちゃっていいの?って思ってた」とユズは言いました。
何度も言うけど、そういうとこだぞ。
「勿論うれしかったよ」とは言っていたけど。
とにかく、2月2日PMはユズの気持ちも固まりきってなかったので普通に受験継続したんですが、その日の夜に、「この学校受かってても、2月1日AMに行くわ」と、ユズは言ったので、あとはチャレンジの2月3日AMだけ受けました。
あと一回だけ続きます。
受験までの道・ユズ中学受験直前期①
さて、すでに忘れかけている受験渦中の諸々ですが、今を逃せば永久に忘却の中に失われる日々ですので、なんとか思い起こして書こうと思います。次女ユズ、中学受験直前期編です。
12月某日。最後の公開模試。
昨年12月に、合否判定が出る最後の模試が行われました。模試を終えて出てきたユズは、「緊張して、手が震えて書けなかった。漢字が、今から見ると簡単なのに、焦って書けなかった」と。そこで危機感を覚えました。え?模試でこんなに緊張してて本番どうなっちゃうの?
結果は、偏差45位で、当然合格判定も良くなく涙を流すユズ。そこでまた危機感が。
そもそも、本番にピーキングを持ってくることができなく、本番で絶不調になり、とくに国語が大スランプに陥っていたのです。
原因としては、実力不足もさることながら、本人の性格的に、わからないところを切って先に進む勇気がない。結果、問題の最後まで解き切ることができない。
その悪いところが一番ダイレクトに出たのが国語で、その結果のスランプだったと思います。
正直私は、模試の結果を見ても、わからなくてできてないんじゃなくて時間がなくてできてないんだから、何とかなるんじゃね?と楽観的でしたが、ユズ本人が泣くほど気に病んでいるので、なんとかしなきゃ、と。
緊張しいであることも鑑みて、1月になるべくたくさんの学校を練習で受けさせよう!と決心しました。緊張対策と時間配分対策で。
1月1日。元日。
元日は、多くの受験家庭がそうであったと推察しますが、私と受験生2人が自宅に残り、それ以外の家族が帰省。
ユズは2月1日とAM・PM同じ時間配分で、2校分の過去問をやりました。
1月某日。受験初陣!
冬休みが終わるよりも早く、地方校のお試し受験に行ってきました。
ユズは全く緊張せず、淡々と受けて帰ってきました。
それを見て、???模試であれだけ緊張したのに曲がりなりにも本番の方がリラックスってなんで?これじゃあ2月1日本命校の緊張対策にならないじゃん!と思いました。
まあ、偏差値も合否判定も出る最終模試の方が緊張するのは、子どもからすれば当たり前ですが、なんだかなーと思いました。
ただ、親も子も、受験の1日のシュミレーションができたのはとても良かったです。
それ以降、なんとなく持参物とかがつかめました。
我が家の必勝セットは、
1.朝ごはんはちょっぱやなので、粥など軽く、
2.それだとお腹がすくので、試験会場までの道々で「くるみゆべし」を食べさせ、
3.試験の合間に食べさせるように、定番のチョコやラムネなどのほかに、甘栗や甘納豆など若干お腹に貯まるものを。
4.水筒はコンソメスープ、お腹にはホッカイロ貼る。
でした。
結果は合格。
1月某日。2校目埼玉校出陣。
こっちも淡々と受けて帰ってきました。もう、こういう何も掛かってない受験は、この子の場合練習にならないんじゃね?と思いました。結果は合格。
1月中旬某日。インフルエンザ罹患!
ある日、塾からふらふらになって帰ってきて、ベッドに倒れこむように寝てしまいました。翌日は高熱。コロナ抗原検査自宅でやったが陰性。
コロナ禍で受診できるところを探すのも一苦労でしたが、なんとか見つけて受診したら、結果はインフルエンザA。不謹慎ながら、ラッキー!と思ってしまいました。
なぜなら、最速でインフルAの確定診断がおりたため、即効で対インフル薬を使える(今回はイナビルでした)。そしたら、おそらく翌日には解熱する(←しました)。
そしたら”合法的に(?)”学校休める!過去問できる!
何しろ、ユズの小学校は受験がまったくもって一般的ではない学校で、1学年70人くらいの1~2人しか中学受験しない学校です。ユズ本人も、「受験のために学校休むなんて。。。そんなことで皆勤崩したくない!」と否定的。
その心意気や良しですが、学校に行ってて今のペースでは、どう頑張っても第一志望過去問10年分、終わりそうもないので、絶望しか感じなかったのですが、この5日間の出席停止で光が見えました。あれがなかったら合格しなかったかも。良かった。
そんなこんなで、5日間の出席停止で頑張って過去問演習を中心にやりました。
この時のみならず、直前期の勉強は、過去問・メモリーチェック・国語の過去問を色んな学校を1日大問1個ずつとかやっていました。
国語の過去問1日大問1問は、「国語解き終われない問題」への対策として。
結論としては、この問題克服できなくて、本番まで国語は足を引っ張ってましたが、この勉強法は良かったと思ってます。ユズ本人は、国語の文章をいっぱい読んだ中で、「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」が一番良かった、情景が頭に浮かんだ、と言ってました。国語力ない子だけど、その感性は素敵じゃないですか?
1月下旬。千葉受験回避。
千葉受験は回避しました。
理由としては、インフルエンザ罹患を目の当たりにして。
だって、娘の小学校、良くも悪しくも田舎で、その時点でインフルエンザ罹患、学年でひっとりもいなかったんですよ。
だとしたら、
娘のインフルエンザ罹患、確実に地方校か埼玉受験のときじゃん
と思って。
感染症の時期、慣らし受験のそういったリスクを思い知らされたときでした。特に千葉受験は、本番2月1日以降まで1週間強しかあかないから、ここで罹患したら取り返しがつかない。
インフルに掛かる前は、かりにコロナ感染したかも?と思っても検査はせずに、受験当日に元気ならば受験させようかな、という考えが、一瞬でも頭をよぎったことは否定しません。
でも、実際にぐったりした我が子を見たら、そんな考えは一瞬で頭を吹き飛びます。
私は、ぐったりした我が子を見た次の瞬間に、抗原検査キットをユズの鼻の孔に突っ込んでました。
てことは、千葉で万が一感染したら、もうそこで受験終了ってことですよ。
そのリスクを負うわけにいかない(あと、千葉遠い連れてくのめんどくさい)。で、千葉受験は回避しました。
割と四角四面なユズからは、「受験予定の千葉校は、第二志望のS泉と偏差値同じくらいだから練習になったのに・・・」と文句を言われました。
そういう融通が利かないところが成績低迷の理由だよな、と思いましたが、本人にはさすがに言わないでおきました。
唯一後悔してるのは、受験料の振込で、私は中学受験トーシローですから12月に1月校まとめて出願しましたが、千葉はぎりぎりまで出願が可能だった、ということ。2万円くらい無駄になったわー。
1月31日。受験前日。
受験前の1週間は、(ユズは不本意でしたが)学校を休ませ、自宅学習していました。
前日の1月31日は、私も仕事を休んでユズに付き添いました。
国語の記述の練習をユズとしていて、ユズがアイデアが出てこないので、ユズに、「こう考えてみたら?」「こういう経験は?」と水を向けていたんですが、
「それで思いついたら苦労しないよ!」と、ユズは突然泣き出して、部屋に籠ってしまいました。
それで、ああ、受験前日に子どもを泣かせるなんて、私も悪い親だなあ、と反省をちょびっとしたのですが、でもよく考えると、私べつに悪くないよね?とも思い。
ひとしきりその反省と紋々を繰り返し、そろそろユズも勉強させねば、と思い、ユズの様子を見ると、なんかメモリーチェックをやってました。まあ、前日だし、本人が機嫌よく勉強できるならそのほうがいいや、とそのまま放置。
てゆうか、受験前日に、2月1日PM校は、「活動報告書」を受験当日に持参しなければならないことに気づき、ギャー!と内心修羅場りながら活動報告書を作成しました。5年と6年の欠席日数もわからなかったし・・・。塾に書き方を電話で聞いたりして(前日にこれかよ、と塾も呆れていたに違いない)。
「美化委員長として校内の美化に尽力」とか謎のドヤりを交えながらなんとか作成しました。そんなこんなで、受験当日にGO!
(続きます)
ご無沙汰しております。受験結果。
ご無沙汰しております!
受験終了からの、子どもの新学期、我々の職場新年度、自分の親を施設に入れる…等々の怒涛の日々を経て、なんとかお茶を飲みながらPCに向かうことが、GWの今できております。
GWは、娘っ子たちの過ぎ去った愛しい日々、中学受験・高校受験について振り返ってみたいと思います。いざ!
とりあえず簡単に、娘たちの最終結果です。
娘2ユズ 中学受験 小6の平均偏差値44(日能研)
※( )内の偏差値は日能研の結果偏差値です。
<1月>
地方校の首都圏入試(38)〇
埼玉校(47)〇
千葉 受けず
<2月>
2/1AM 山手の女子校のYK(49)かYF(46) 〇
2/1PM S泉の2科 ×
2/2AM K学園(39)かY女学園(40) 〇
2/2PM S泉の算数1科 ×
2/3AM 公立中高一貫校(57)×
受験終了!
娘1せとか 高校受験 中3の平均偏差値 5科で60くらい?
※( )内の偏差値はみんなの学校情報の偏差値です。
併願確約私立(66)〇
オープン受験私立(66)×
国立(77)×
神奈川県立の進学重点校
湘南(75)・柏陽(72)・厚木(70)・川和(69)のいずれか 〇
受験終了!
というわけで、2人の受験結果を振り返ってみて、ざっくり言うとぱっとしない。
ニュアンスでいうと、「ククク…奴は四天王の中でも最弱・・」みたいな感じか?
でも私は、紛う方なく幸せです。
なんでかというと、その理由はひとつには、払った労力に相応しい成果は得られたと思うから。
大きな成果を得るためには、大きな代償が伴うものだと思います。
私にとっては、まあ色んなものを抱えた受験生活でした。
上下2人の娘の受験・親の介護・そこそこ激務の自分の仕事・残りの家族の笑顔。
全部手放さずに、受験も華々しい成果を!と行きたかったですねえ。でも無理でした。それが人生。
片手間受験に相応しい成果は、得られたのではないか。
ふたつには、娘たちが、そして我が家が、精一杯の最大限の努力をして勝ち取った学校がダメだなんてこと決してない!と思うから。
娘2人の入学式では感激して泣いてしまいました。この子が精一杯の努力をして「合格」を勝ち取ったからこその「今この瞬間」なんだと。
そして今も、娘2人とも楽しそうに学校に通っています。
結局、親としては、子どもたちの笑顔を守ることが一番大事で、受験結果がどうとかは二の次以下で、そもそも子どもたちが笑顔で生き生きと生活していれば、いくらでも次につながると思うのですよ。
そんなこんなで、我が家の受験期の顛末、結果だけざっくりとの回でした。
次回以降、上下2人の、渦中のドタバタ期を綴りたいと思います。
中学受験 結果
ご無沙汰しております。
次女ユズ中学受験終わり、長女せとか高校受験継続しております。
2人とも終わってから結果報告を、と思っていましたが、予期してなかったが次女終わったら思いのほか暇(今長女は日特的なのに朝から晩まで行ってるし)なのと、こんな下位女子の結果でも、気に掛けていてくれてる奇特な方がいるかもなので、結果だけ取り急ぎ。
長女と併せて身バレ防止のため、思い切りぼやかします。ヘタレですみません。
次女ユズ 6年後期平均偏差値N44 受験結果
<1月校>
地方校の首都圏入試 および 埼玉校(N37とN47) 〇〇
千葉 受けず
<2月校>
2月1日AM 第一志望 山手女子校 横浜Kか横浜F(N51)〇
PM 第二志望 S泉 算国(N53)×
2月2日AM 第三志望 K学園かY女学園(N42)〇
PM S泉 算数1科(N50)×
2月3日AM 公立中高一貫校(N57)?→10日発表
PM S泉 4科 受けず 受験終了
第一志望の2月1日AM校はチャレンジだったので、第二志望S泉4連戦に全てを賭ける計画でした。
しかし過去問をやりこんだ第一志望校との間に謎相性を発揮し、塾から「やめろ」「無謀」「リスクって知ってる?」等さんざん言われた割に金星を挙げることができました。
そもそも6年後期、なぜあんなに偏差値が低かったかは一家言ありますが、それはうちの子たちの全ての受験が終了した暁に。
なんとか正規合格に滑り込めたこと、いまもひやひやする思いでいっぱいです。
しかし、子供の合格の瞬間は嬉しいものですね。
認可保育園合格の瞬間と同じ、至福の瞬間。
この瞬間も、まだ戦いが続く2023年中受組の全ての皆さまの健闘をお祈りしています。
頑張れ2023年組!