公立中高一貫落ちたところから始まるブログ。

ムスメ1が公立中高一貫落ちました。高校受験はがんばってほしいです。下に二人も控えてます。受験話+海のある町に住む家族の日常を綴りたいと思います。

2020公立中高一貫受検 敗因分析①~内的要因~

前記事で書いたのは、入試の物理的側面ですが、その中で我が子のここは良かった、ここはもっとこうすれば良かったと、細かいことはいくらでも書けるのですが。

細かい分析をするまでもなく、私には我が子が合格できなかった原因が浮かんできてしまうのです。

 

それは、「我が子が幼かった」 これに尽きます。

 

私は、昔、中学受験と高校受験を両方扱う進学塾に、正社員の講師として勤務していた経験があります。中学受験と高校受験を目指す生徒の両方を教えていて、薄々感じていたことは、

 

「中学受験は、こどもの発達段階的に、受験に必要な能力がまだ出そろってない場合が多い。高校受験ではそれは大体で揃っているから、学力が得点にリニアに反映する。受験に必要な能力が出そろうかどうかは、中学受験の場合はただの運ゲーだから、ただの運ゲーにまけてしっかり子どもが傷ついてしまう中学受験はあまりよくないなあ」 ということでした。

 

では、「受験に必要な能力」とは何か。これは、私もずっと考え続けてきて、いまだにクリア―にはいえないのですが、

ピアジェ発達心理学でいう「具体的操作期」を抜けて「形式的操作期」に達している(抽象的に物事を考えられている)。

・「メタ学力」とでも言うべきか、学問をもう一つ高次の次元から俯瞰できる。

・学問を統合的にみられる。

・様々な体験的な学びを経験知として自分の中に落とし込むことができ、またそれをきちんとアウトプットできる。

 

というような能力だと思われます。そしてこれもうまく言えないのですが、高校受験の段階のこどもたちは、心配するまでもなく特に努力をするまでもなく、これらの能力は大抵出そろっていて、学力勝負に持ち込めるのです。

 

ひるがえって我が子、長女せとかをみると、親の欲目から見ても、中学受験に必要な能力が出そろっている子ではなかった。これって、学力とイコールでもないんです。せとかは、公立中高一貫校を受ける人が目指す「公中検模試」でも偏差値60を出したこともあるなど、決して地頭、学力が悪いわけではない子どもだったと思います。純粋にメンタルの問題なのだと思います。

受験が近づいてきても焦るでもない。さぼるわけではないけれど、俗にいう「スイッチ」が最後まで入ったふうでもない。そのような我が子せとかを見るにつけ、「万が一受かったとしても、人生で最も重要であろう『大学受験』の前の最後の受験が、こんなふうに終わってしまって本当にいいのか?」という疑問、「これで受かるのか?」という恐れは消えることがありませんでした。そして、その恐れは不合格を持って現実になりました。

 

ただ、私はいまは「これで良かったんだ」と本心から思っています。今の我が子の状態では、なにかのラッキーで受かっていたとしても、周りの子とレベルが違って確実に苦しむことになっていたでしょう。

 

なにより、私自身も予想していなかった自分の心の動きでしたが、子が、自分自身も根差している「地域」の子になる、「この仲間たちと、また育ちあっていくんだな」と思える小学校の仲間たちと同じ学校に上がる、保育園から学童とずっと一緒だった幼馴染たちと一緒の学校に上がる、それは想像以上に私にとってワクワクする、嬉しいことでした。

今も、なんだか楽しそうに中学校に通っているせとかを見ているととても嬉しい。

 

親から見ても、中学受験よりは高校受験向きの子だし、次いこ、次!