公立中高一貫落ちたところから始まるブログ。

ムスメ1が公立中高一貫落ちました。高校受験はがんばってほしいです。下に二人も控えてます。受験話+海のある町に住む家族の日常を綴りたいと思います。

朝日小学生新聞。

中学受験生御用達の朝日小学生新聞。ご多分に漏れず、我が家も長女せとかの中学受験時代から、もう2年近くになるかなあ、朝日小学生新聞を購読しております。毎朝、私、せとか、ユズが奪い合いながら読んでおります。

 

しかし我が家にはもう中学生がおります。となると、ホントはもう中高生新聞にバージョンアップした方がいいんだけど、まだ「朝小」を取り続けています。いや、ほんと、せとかには悪いと思うんだけど、もはや私が、朝小のない朝に耐えられない・・・・。

 

なんで私までもが朝小好きなんだろう、と考えてみるに、まず、前提として、掲載されている記事、連載モノなどが上質であることがあげられます。子どもにもわかりやすく、面白く、ということが、結果的にユニバーサルデザインになっているのですね。

 

あと、私目線で言うと、小学校生活へのノスタルジー。朝小よんで、自分の小学生時代に戻ったり、子どもが小学生だったときのことを追体験して幸せになってる。今、連載小説の「IQ探偵ム―」は、小学校の運動会のお話です。読者からのお便りで、「小学校の運動会懐かしいです。小学校に戻りたい!」という中学校の女の子からの投稿がありましたが、近過去の中学生ですら、懐かしい。私はどちらかというと、自分の子どもらの運動会を追体験して懐かしむ感じですが、運動会当日、体育着でぞろぞろと学校に向かう小学生、道端に咲き誇る立葵の花(←うちの地域は運動会は5月です)、応援合戦をする子どもたち、そういったものすべての中に自分がいたときの華やいだ気持ちを追体験して、幸せな気分に浸れるのです(←当然、自分がPTA委員で大変な思いをした時の運動会の気持ちとかは思いださない( ´艸`)

 

そして、これは朝小だけでなく、いろんな小説全般に言えることですが、読むだけでまだ見ぬ土地に行ったり、知らないことを知れる良さってありますよね。上述のIQ探偵ム―の運動会のお話しを読んでてユズが、「運動会で給食たべるなんて台無しだよ。運動会はやっぱりお弁当デショ!」と言ってました。そういうシーンがあったので。

「いやいや、家族がこれない生徒を慮って、お弁当じゃなくて給食を食べる地域もあるよ」

「でも、運動会の朝に花火があがるのはワクワクするね」とユズに言ったら、

 

夫「それフツーでしょ。うちの地域は運動会の日の朝は花火あがるよ」

私「ああ、あなたの地域はやたら放送とか入るよね。知らんかもしれないけど、朝7時と新年に鐘がウーってなるのは全国区じゃないからね」

夫「いや、全国区でないのは知ってるし」

私「私の実家近くの地域で、地域に放送はいるのって朝市のときだけだわ」

 

と、はからずもご当地トークになってしまいましたが、そんな風に、自分自身でない他人の目で、行ったことないところに行って楽しむ。それは読書の根本的な醍醐味だなあ、と、朝小を読んでて私は思いました。