公立中高一貫落ちたところから始まるブログ。

ムスメ1が公立中高一貫落ちました。高校受験はがんばってほしいです。下に二人も控えてます。受験話+海のある町に住む家族の日常を綴りたいと思います。

あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます!

 

今回もだいぶお久しぶりになってしまいました。

理由としては、仕事と親の介護が忙しいのと、娘の成績も芳しくないので記事を上げる気も失せた、というところです。

娘の成績はマジでやばいです。1月度のクラスでW2に残留できたのが不思議なくらい。

こんだけ課金して、私自身多忙につき心身ともにやばいのにダラ娘と毎日勉強してこれかよう、とやさぐれそうですが、中学受験はたとえ失敗に終わっても、経験値としてしないよりはした方が絶対良い、と思うので今年も頑張りマッスル。

受験終わってもいないのに敗戦の弁みたいになっちゃって縁起、悪!

 

さて、次女ユズが歴史の勉強をしてて興味を持ったので、角川つばさ文庫から出てる「枕草子 平安女子のキラキラノート」を買い与えました。

私自身も、歴史上の人物の中では清少納言が一番好きかもしれないくらいなので、この本を読みました。感想としては、みんながキラキラしてるあたりでお話が終わってほんとによかった。中宮定子サマが亡くなるところまで描かれていたら、私も泣いちゃう。

 

もとより、この中関白家の一族の没落話は、悲しくも美しい完璧なひとつの物語なんですよね。物語好きの私にはたまらない。

 

のちの中関白、藤原道隆は、身分が低い学問の家柄、高階家の娘、貴子と恋に落ちました。

貴子は激しい恋歌を高らかに謳いあげる。

「忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな」

(あなたとの恋は成就するのは難しいでしょう。それならば、最高に愛されている今日、私は死にたいわ)

 

ふたりは結婚し、一族は栄華の極みを味わうが、やがて没落する。

道隆と貴子の娘の中宮定子の辞世の句は、

「夜もすがら 契りしことを忘れずば 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき」

(一晩中愛し合ったことをあなた(←一条天皇)がお忘れでないならば、あなたが私を恋しく思って泣く涙の色が知りたい)

 

そして、道隆、貴子の孫の藤原道雅が、愛し合った内親王との仲を無理やり引き裂かれて詠んだ歌。

「いまはただ 思い絶えなん とばかりを ひとづてならで いふよしもがな」

(あなたへの思いは諦めました ということを、せめて、人づてではなくあなたに言うすべはないのだろうか)

 

三代にわたる壮大な恋歌です。みんな、生き方は下手だったけど一生懸命だった。

 

そして、中宮定子に仕えたのが清少納言

偉大な歌詠みの父を持つのに短歌は下手で、女としては過剰な才気をもてあましていた清少納言を面白く思い、かわいがってくれたのが中宮定子です。

だから、清少納言は、枕草紙を描いた。枕草紙で心を込めて中宮定子を賛美した。

枕草紙ってプロパガンダです。

没落していく一家のようすを伝えず、ひたすらに、中宮定子とその周りの人々が、いかに面白く、いかに魅力的ですばらしいかを描いた。

藤原道長全盛時代の中で没落していく中関白家を、筆一本でおしとどめようと戦った清少納言は、最高にロックです。けなげです。「まどマギ」のほむらちゃんのようだ。

でも、ダメだった。中宮定子は不幸のうちに亡くなった。

 

清少納言は、現実世界で中宮定子を守れなかったかもしれない。でも、枕草子は現代まで燦然と輝く文学です。その中で微笑む中宮定子は永遠になりました。

清少納言はすごいことをした。それが、私が清少納言を好きなゆえんです。

 

しかも、良く考えてみると、今の天皇家愛子さまとか、マコさまとか・・・そういう人たちって、中宮定子と血がつながってるんですよね・・・。なんかすごい。

 

そして、上にあげたいくつかの和歌は百人一首にも取られてる。

百人一首ってやっぱりいいなあ。娘たちの学校で百人一首大会あるんで、今夜は百人一首を娘たちとしよう。

 

と、年頭に何を語ってんだかわからない取り留めもない話でしたが、以降は頑張って娘たちの中受話、高受話をブログに上げたいと思います!今年もよろしくです。